文筆関係のポートフォリオです。文体等の確認にどうぞ。
・商業向け作品
幼馴染といっしょ(クリックするとゲーム配信サイト「ふりーむ!」に飛びます。)
いわゆるギャルゲーです。いなさかみゆきさん原案のシナリオをテキストに起こしました。カワイイ幼なじみと仲良くなってニヤニヤするゲーム。私には商用テキストが少ないので、そういうもののご依頼をお考えの方はご参考になさって下さい。フリーウェアですが、絵柄の可愛さもあっていくつか動画が作られるなど、人気でした。
・随筆
今日だけで終わらぬ、この時期の雨はこの地をひと月かけて清めるのだ。春にやって来た黄砂やら様々な埃やらをきれいに空から洗い流し、夏のいのちの出会いを、ご先祖さまの帰郷を、織り姫と彦星の再開の祝いを準備するのだ。現在にあっては戦いの記憶と平穏の境界でもあり、洗い上がったこの空をいくつ魂が清く昇っていったろう。見上げる私の瞳を、天からのぞき込んでいるだろう。私のじいさんとその同朋が陽光を透かして見えた気がした。
――『水の鎮め』より「雨」2016
・小説
なんだか私は小さな子どもになった気分で聞いていた。ママがこちらを向いてほほえんだ。記憶にはないお母さんを見たような気がして、私は子どもになって聞いた。
「その人たちは、寂しくなくなったの?」
「ゆったりとしていた方が、居心地いいでしょう? 人だって、そうよ。急いでいる人は格好いいかも知れないけれど、他人を受け容れるときくらいはゆっくりにならなきゃいけないの。ゆっくり歩いて、心も落ち着いたんだもの。みんな連れ添いがいたり、誰かと今も一緒だったりするわ」
あやすように語られた言葉を聞いて、ほっとした。ブルーのカクテルを揺らして私は、
「よかった」
と言った。私もよくなったような気がした。
――『スナックでフライを、願わくば招福を』2014
私を最初にぶーちゃんと呼んだのは、タベさんだった。太っていることで損しかしてこなかった私に、その愛称はつらかったはずなのだ。でも、それからおデブちゃんなことをあまり気にかけることがなくなっていった。私をぶーちゃん呼ばわりしたタベさんは、キラキラした目で私についていいことしか言わなかった。あんなに輝かしい目は先にもあとにも見ていない。この人にはデブもブタさんにも悪い印象はさらさらないのだと分かって、私は自分こそが自分を否定しているのだと気づき出した。あれからタベさんは私のそばにいて、いつの間にかそれが当たり前になっていた。
「タベさんは寂しいの?」
タベさんの顔が、ちょっぴり苦くなった。私はあれから寂しくなかった。タベさんから一方的に受け取ってばかりだった気がする。
「そうねえ……どうなんだろう?」
曖昧なふうにタベさんは答えた。まなじりの下がったところに涙がたまってきそうでたまらず抱きしめた。抱きしめられたタベさんは「さすがぶーちゃんだねえ、さすが」と微妙に湿気た声で言った。優れて見えるのは孤独の裏返しなのだと私は知った。もうちょっと近く触れ合っていこうと思いながらタベさんの後ろ頭をなで回すと、タベさんはくすぐったそうに私の肩に顔を埋めた。
――『止まり木、雛の家』2017
・詩
久遠の祈りがこだまする海岸よ
泣き声は静まったか
厳しい冬の終わりを 冷たき大地を
さらっていった波は
聴いてごらん
いまさざめいて 微笑み声のようだよ
水底の骸
錆びたフルート
折れたペンのうえに 瓦礫が重なって
私たちは立っているのだ
海鳴りは呼んでいる
大地は汚れてしまった
いのちは壊されてしまった
積み重なった荒廃の上に
私たちは生きているよ
沃土にしみわたる呼び声を
遠く聴きながら
久遠の祈りがこだまする海岸よ
静かな引き波よ
また幾たびかの祈りをのせて
還りたまえ
蘇りたまえ
いのち満ちる春の海へと
――『朱き水脈』より「春の声」2017
あの夏は連続してこの夏に繋がっている
この春は?
どうだったろう あの春に繋がっていただろうか
罹災を知らぬまま歩いた海岸線で
笑っていた人々
きっと涙はあそこにも沈んでいたのだ……
ここにいて私が死ななかった意味
そこにいて彼が死んだ意味
いまだ私は見つけることができない
また春はやって来る
誰が答えるだろう
なにを答えるだろう
境界の先で待っている
私を待っている……
――『朱き水脈』より「境界」2017